福岡家庭裁判所 昭和44年(家)263号 審判 1969年3月13日
申立人 牧島初江(仮名)
相手方 滝沢雄一(仮名)
主文
一、相手方は、申立人に対し、財産分与として六万一、三〇〇円の支払をせよ。
二、その余の本件申立を却下する。
理由
一 申立の趣旨
申立人は、相手方に対し、財産分与として四七万七、五〇〇円の支払を求める。
二 申立人の主張
(一) 申立人と相手方は、昭和三〇年一〇月三〇日事実上結婚し、昭和三一年一月三〇日婚姻届出をし、昭和四二年七月二七日言渡、同年九月六日確定の福岡地方裁判所昭和四一年(タ)第三三号離婚事件の判決で裁判上の離婚をした。
(二) 申立人と相手方の婚姻中、相手方名義で、昭和三二年一一月頃○○市大字○字○○○△△番○○宅地一九〇m2六四(五七坪六七)を買受け、同年一二月頃同地上に木造瓦葺平家建居宅床面積四一m2二一(一二坪五〇)を建築し、その後八m2二六(二坪五〇)を増築した。
(三) 相手方は、結婚当時○○商店(小間物卸問屋)に勤務していて、その後はあちこちの自動車のセールスに従事するようになり、申立人は一家の主婦として家庭を守つていたが、相手方の収入を補い生活を維持するため、○○連合市場の事務員、あちこちの電話交換手として稼働し、かたわら編物の内職もした。上記土地建物も、申立人の母や住宅金融公庫からの融資などにより取得したものであるが、これを維持できたのも、申立人の寄与によるものであつて、その寄与分は二分の一程度である。
(四) そこで、上記土地建物の時価は、すくなくとも合計一六〇万〇、〇〇〇円はあるから、これから上記土地建物を取得するために負担した残債務すなわち、申立人の母に対する四六万五、〇〇〇円、住宅金融公庫に対する一八万円、合計六四万五、〇〇〇円を差引いた残額九五万五、〇〇〇円の二分の一の四七万七、五〇〇円を財産分与として請求する。
三 相手方の主張
(一) 上記離婚判決で、申立人は相手方に対し慰謝料三〇万円の支払を命ぜられており、その額は一切の事情を考慮して定められたものであるから、申立人はいまさら財産分与の請求をすることはできない。
(二) 上記土地建物は、相手方の働きによつて維持されたものであり、また、相手方は申立人の母と妹も扶養したのであるから、申立人には寄与分はない。
四 当裁判所の判断
(一) 上記離婚判決写によると、同判決は、申立人に不貞な行為があつて相手方に精神的な損害を蒙らしめたとして、申立人に対し、不法行為にもとづく慰謝料三〇万円の支払を命じたものであつて、夫婦の離婚にもとづく夫婦財産の清算的要素を中核とする財産分与とはその性格を異にするものであるから、申立人は、相手方に対しこのような財産分与の請求をすることができるものである。
(二) そして、調査の結果によると、申立人の主張一、二、三、(寄与分の点を除く)の事実が認められ、当庁調査官立石和枝の調査報告書(昭和四三年八月一四日付)によると、昭和三一年一月から昭和四二年八月までの稼働収入の総額は、申立人は約八二万円、相手方は約三五七万円であつて、その比率は約一対四であり、上記のような離婚判決があつたこと、その他諸般の事情をあわせみると、上記土地建物は相手方に取得させるとして、これを雄持したことについての申立人の寄与分は、四分の一とするのが相当であり(申立人の母と妹も同居していたが、妹は他に稼働して食費として若干の金を入れており、母はその二男、三男から若干の仕送を受けていたし、母も妹も家事の手伝をしていたのであるから、その対償をあわせみると、申立人の上記寄与分を左右するものではない。)、上記調査報告書によると、上記土地建物は、昭和四三年七月頃一二〇万円で売買されようとしたことがあるので、それくらいの取引価額はあるものとみられるが、財産分与の基準額としては、取引価額と固定資産税課税標準額との平均値をとるのが、当事者間の公平を期することにもなり、相当とみられるところ、○○市長の証明書(二通)によると、後者の合計額は三七万二、七一七円であるから、これと前者の価額との平均値は七八万六、三〇〇円(一〇〇円未満切捨)となり、上記調査報告書によると、上記土地建物についての昭和四二年九月(離婚時)当時における残債務は、住宅金融公庫に対する二〇万四、八〇〇円と申立人の母に対する三三万六、〇〇〇円の合計五四万〇、八〇〇円であるから、これを差引いた残額二四万五、五〇〇円が財産分与の基準額となり、申立人の寄与分はその四分の一であるから、その四分の一である六万一、三〇〇円(一〇〇円未満切捨)を、相手方は申立人に対し、財産分与として支払うべき義務があるものというべきであり、それをこえる本件申立部分は相当ではない。
よつて、主文のとおり審判する。
(家事審判官 内田八朔)